スタートアップにおけるイノベーションのジレンマ

この記事は Kyash Advent Calendar 2025 23日目の記事です。

Kyashでプロダクトマネージャーをしている Ueda です。

今年もあと少しとなりました、皆さま今年の終盤いかがお過ごしでしょうか。 この2025年、実はKyashは創業10周年の年であり、振り返ると私自身も入社してからいつの間にか8年が経過していました。

スタートアップと呼ばれる企業で大企業かのような勤続年数を経てきた自分から今年のAdvent Calendarでは、Kyashのように中期〜後期に差し掛かるスタートアップで働く方々そして例年の如く未来の自分に対して自分の経験からくる学びを書いていきます。

その中でも特に「既存事業が安定し、次の成長機会を模索している組織の誰かが、その問題を理解し対処するための示唆」について「イノベーションのジレンマ」と呼ばれる経営理論を交えて共有できればと思います。

今回タイトルでも採用している「イノベーションのジレンマ」は、長らく「大企業が陥る問題」として語られてきました。 私自身初めてこの理論に触れた時、「大企業ではないKyashのようなスタートアップには無縁の話だな」と考えていたのですが、長らくKyashでの働いて行くうちに「どうやらこの問題は企業の規模に関係ないのではないか」と思えて来ました。 実際に近年の研究でも、このジレンマは企業規模ではなく、組織が置かれた構造そのものから生じることが指摘されています。 むしろ「限られたリソースの中で合理的な判断を積み重ねるスタートアップ」ほど、より早く、より深くジレンマに直面する可能性があるのではないか、という個人的な考えをお伝えできればと思います。

本記事では、スタートアップにもイノベーションのジレンマは発生すること、その原因を大企業と共通する構造的要因とスタートアップ特有の制約条件の2つの軸から整理し、最後に自分として考えられる 組織設計と組織運営の観点からの解決策 をお伝えしたいと思います。

1. イノベーションのジレンマと組織の活動について

1-1. イノベーションのジレンマ

イノベーションのジレンマとは、端的に言うと、

既存顧客のニーズと既存事業のKPIに基づいて合理的に最適化を進めた結果、 当初は小さく見えるが別の価値基準(安さ・簡便さ・アクセス性など)で伸びる「破壊的イノベーション」を取り逃がし、将来の成長機会を失ってしまう構造的な問題を説明した経営学の理論です。

重要なのは、そこに非合理な判断はほとんど含まれていないという点です。

そしてこのジレンマは、突き詰めると「短期成果を生みやすい活動が優先され、将来の成長機会を生む活動が後回しになる」という形で現れます。
この構造をより分解して説明するために、本記事では組織の活動を「探索(Explore)」と「深化(Exploit)」の2つに整理します。

1-2. 「探索(Explore)」と「深化(Exploit)」

先ほど述べた2つの組織の活動をこちらも同じく「両利きの経営」という経営モデルから引用し以下のように定義します。

探索(Explore):新しい価値、市場、技術、ビジネスモデルを探求する活動 非効率で不確実だが、将来の成長機会を生み出す可能性がある (一方で、成果が数値化されにくく評価も遅れがち)

深化(Exploit):既存事業を最適化し、効率化・スケール化する活動 再現性が高く、短期的な成果を数値として生み出しやすい活動

探索と深化は、求められる能力、成果の出方、時間軸が根本的に異なります。 そのため、同じチームや同じKPIで扱うと、探索は必ず負ける構造になりやすいです。

イノベーションのジレンマは、まさにこの2つの活動を同じ組織・同じ評価基準で扱うことで発生すると考えられます。

よってここで問われるのは、「大企業かスタートアップか」ではなく、「何を最適化している組織か」です。 スタートアップも「最適化フェーズ」に入った瞬間、イノベーションのジレンマの当事者になり得るのです。

ここからは、まず大企業とスタートアップに共通して働く構造的な発生要因を整理します。
その上で、スタートアップ固有の制約がどのように大企業以上にジレンマを強めるかを論じ、改めて「スタートアップだからこそ当事者になり得る」点を確認します。

2. 大企業とスタートアップに共通するジレンマの発生要因

2-1. 既存事業の成功が意思決定を支配する

売上や継続率など既存事業の明確な成功指標が組織の意思決定の重心を作ります。
そのため、既に価値を示している領域の延長線での改善が最も合理的な選択肢と見なされやすく、「うまくいっているもの」を疑う理由が奪われ、別の価値軸で伸びる試みが相対的に軽視されがちです。

2-2. 既存収益モデルと能力の固定化

既存の収益モデルや業務プロセスに対する深い理解と最適化能力が組織の中核能力を形成します。
こうした能力の蓄積は「できること」を規定するため、新しい収益モデルや業務フローを学ぶコストが高く、探索行為が構造的に阻まれる傾向があります。

2-3. 評価・資源配分制度のバイアス(KPI偏向)

評価・報酬・予算配分の仕組みが、数値化しやすく短期に成果が出る活動を正解にしてしまいます。
結果として、成果が遅延・不確実な探索活動は同じ基準で比較した場合に常に不利となり、制度自体が探索の芽を摘むことになります。

3. スタートアップ特有のジレンマ発生要因

3-1. 制度的・外部的な短期成果圧力の強まり

スタートアップが成長し中長期のフェーズに入り収益性やキャッシュフローが生存条件になると、経営層や投資家、マーケットから短期成果を求める圧力が強まります。
このような外部・制度的圧力により、中長期で学習を重ねる探索は説明しにくくなり、戦略的に後回しにされやすくなります。

3-2. 物理的リソースの制約と配分の収束(人・時間・資金)【増幅】

スタートアップのような、人員や時間、資金といった物理的なリソースが多方面に限定されている組織においては、確実に価値を生む既存改善にリソースが集中します。 新規探索は「重要だが今ではない」と判断されやすく、結果として既存プロダクト改善にリソースが集中してしまいます。

3-3. 組織の専門性が既存領域に固定化される

探索からスタートしているはずのスタートアップにおいても、成長過程で採用・評価が既存事業に最適化されると、必要となるスキルセットや意思決定が徐々に深化の方向に偏り始めます。 結果として、新しい技術や市場に挑むための能力(あるいはマインドセット)が社内に蓄積されにくくなります。 その結果、新しい市場や技術に対する探索能力が相対的に低下し、「できること」が「やること」を規定する状態に陥りやすくなると考えます。

ここまでで、業界や規模を問わず働く共通の構造要因と、スタートアップの文脈でそれらを増幅する要因を整理しました。 まとめると、既存事業の成功やKPI偏向といった普遍的なメカニズムがベースにあり、資金や人の制約、外部からの短期成果圧力、組織能力の固着化といった増幅因子がスタートアップではそれらを致命的にします。 言い換えれば、スタートアップはむしろイノベーションのジレンマに遭遇しやすく、遭遇した際の影響も大きくなり得るということです。

そこで以降では、この「スタートアップだからこそジレンマに遭遇しやすい」という前提の下で、解決策を論じます。 重要なのは、ジレンマを個人の問題やモラルの欠如として片づけるのではなく、組織の構造として捉えることです。以下でその前提を明確にしたうえで、組織設計と組織運営の観点から実務的な対処法を示します。

4. 解決策の前提:ジレンマは「構造問題」である

スタートアップに現れるジレンマの典型的な症状は次のようなものです。 改善は進むが事業の射程は広がらない、プロダクトの完成度だけが上がっていく、次の成長曲線が描けないまま成熟に向かう。 こうした状態は、しばしば観察されるのではないでしょうか。

ここで重要なのは、これが単なる「失敗」や「意思決定者の視野の狭さ」ではない点です。 むしろ、既存事業の成功を最大化するために正しいKPIを追い、合理的にリソースを配分した結果として必然的に現れる構造的な問題だと理解するべきです。

したがって、解決の出発点も「個人の意識改革」ではなく、後述の通り探索が組織の中で負けないようにするための設計(組織設計)と、それを機能させる運営にあると考えます。

4-1. 組織設計の前:深化と探索の"誰"を定義する

具体的に「何をやるか」という解決策の本題に入る前に、深化と探索はどういった違いがあるかについて改めて触れたいと思います。 二つの定義については前半で述べた通りですが、ここにさらに相違点を付け加えるとすると、「誰のためにそれをやるのか(ターゲットユーザー)」という観点が必要です。 理由は単純で、深化は既存ユーザーの現行価値を高める行為であり、探索は従来満たされていない/代替が弱い別のユーザーの課題を解く行為という大きな違いがあるからです。 仮に1プロダクトの中で両方を推進する場合、ペインポイントの全く異なる顧客を捕まえていくといったことも起こりえます。 そもそも両者が対象とするユーザーが異なるという理解、そしてそれに合わせた設計(役割分け・KPI・資源配分)がセットにならなければ、探索は既存顧客の声に引き戻され、イノベーションは生まれません。 以降の章では、この前提に立って、探索と深化を両立させるための方策を順に論じていきます。

5. 組織設計:水平組織設計による探索と深化の分離

イノベーションのジレンマの解決策として、大企業ではスピンオフが語られることが多いです。 既存事業とは別の組織として新規事業を立ち上げることで、探索と深化を分離する手法です。

私が思うにこの考え方はスタートアップという規模でも適用が必要だと考えます。 スタートアップは大企業ほど大規模なスピンオフはできませんが、 組織内で探索と深化を分離するという本質的な考え方は同じです。

繰り返し述べている通り探索(Explore)と深化(Exploit)は、求められる能力、成果の出方、時間軸が根本的に異なります。 これを同じチーム、同じKPIで扱えば、探索は必ず負けると考えます。 探索は非効率で当然、深化は効率と再現性が価値という前提を、役割として明示的に分ける必要があるのです。

5-1. 実装例:単一チームから部門分割へ

仮に同じ人数でも、組織構造を変えることで探索と深化を分離できると考えており、ここではKyashの組織の変遷を例に挙げたいと思います。

弊社においては、元々Kyashというプロダクトを一つの開発チーム(Wallet Team)で運営をしていました。 長年既存プロダクトの改善と新規探索を「同じチーム内の複数プロジェクト」並行して進めていましたが、成長の踊り場に出始めると新規探索は常に後回しになり、リソース配分も既存改善に偏っていた時期があったと感じます。

そういったKyashにおいても2024年のタイミングで、探索的なプロジェクトの立ち上げや提供サービスへの強化に際して組織を以下のように3部門に分割する事にしました。

Kyashの組織変遷

分割が行われたことで、各事業部がそれぞれに「ミッション・プロダクト・収益モデル・KPI・リーダーシップ」を持つ形となり、単一組織では実現できない戦略の多様性が生まれたように思えます。

重要なのは、人数を増やさずに組織構造を変えたことだと考えます。 同じ人数でも役割を明確に分離することで、探索が負けない構造を作ることができたと考えます。 そういった試みの成果として、クレジット事業部においては日本初のスキームを採用し立ち上げたKyashスポットマネー、そして法人送金事業部においては銀行口座向けの送金を皮切りとした一連の取り組みが実現したと思います。

6. 組織運営:トップダウンボトムアップの両立

一方で横軸として捉えられる組織構造の分離だけでは課題の解消には不十分だと考えます。 イノベーションを継続的に推進するには、縦の関係ともいえるトップダウンボトムアップの両方の引力が必要だと思います。

6-1. トップの役割:イノベーションを引っ張る

組織構造で探索と深化を分離しても、トップがイノベーションの重要性を理解し推進しなければ、探索は形骸化し深化に吸収されてしまうと考えます。

トップに求められるのは、イノベーションの質を見極める能力、探索を保護する意思、失敗を許容する文化の醸成だと考えます。 組織構造の分離は必要条件ですが、トップがイノベーションを引っ張ることが十分条件であると考えます。

6-2. ボトムアップの重要性と相互作用

一方で、トップダウンだけでは限界があると考えます。 現場のメンバーが日々の業務の中で気づく機会や、顧客との接点から生まれる洞察は、トップだけでは見えません。

理想的な状態は、トップが探索の方向性を示しリソースを確保し、メンバーが現場の洞察から具体的なアイデアを生み出し検証する、という循環であると考えます。

組織構造の分離は基盤であり、その上に、トップのリーダーシップとボトムアップの文化が重なることで、初めてイノベーションのジレンマを越える組織が生まれるのではないかと思います。

この部分について、マインドセットのような抽象的な話とはなってしまっていますが、例えばこれを具体的な制度設計として組み込んでいるのがGoogleが採用していた「20%ルール」といったものではないでしょうか。

7. まとめ:ジレンマを越えるのは意思だけではなく設計が必要である

本記事で論じてきたように、イノベーションのジレンマは大企業特有のものではなく、スタートアップでも起こり得ることを認識することが重要です。 イノベーションのジレンマは避けられないと思いますし、問題は起きるかどうかではなく、起きる前提で組織をどう設計しているかだと考えます。

そう考えると「スタートアップである」という状態を誤解してはいけず、重要なのは「スタートアップであり続ける」という努力なのではないでしょうか。

イノベーションのジレンマは、衰退の兆候ではなく、次の成長に進むための通過点です。 このジレンマを認識し、設計として対処することで、スタートアップは成長を続けることができるのではないかと考えます。

8. 最後に

冒頭に書いたようにこの記事は実は自分向けの内容でもあります。

ここまで色々述べておいて小さく納まらないようにようにしたいので、引き続きKyashでは新しい挑戦に取り組んでいきたいと思います。

一緒にイノベーションを起こしたい!という方がいらっしゃれば、ぜひお話ししましょう!